三月、別れとそして新たな年度の幕開けですね。
少しずつ暖かくなっていくこの季節は私は結構好きです。
こんな時期しかかけないようなこともあるなあ。
決断までの紆余曲折を書いてみようと思う
プロフィールに簡単に「会社辞めて医学部受けました」みたいに書いてるけど、
お察しの通り、ここに至るまでにはめちゃくちゃ悩み、密かにめっちゃ紆余曲折してます。
あまり多くの人がこの部分を語りたがらないご様子で、同級生の再受験同士でもなんだかこの部分をけっこうかたくなに口を閉ざす人も多いので、きっといろいろある部分なんだなあと思います。
かくいう私も、もうめっちゃ色んな方向に、もうそれこそほんと、迷走しまくりましたよ。
迷走なのか珍走なのか。
でも、私の書いたのを読んでくれている人って、そういう迷走中や珍走中の人が多いのではないかと察し、書いてみようと決断するに至りました。
季節的なものもあります。この時期だからこそ、いろいろ前のことに思いをはせたりする。
しかしまあ、あまりに詳しいことを書くわけにもいかず、すこしぼかす部分もあるけど許してくださいね。
第一志望の大学には不合格(若いころのお話)
当時まさかA判定もらって落ちると思ってなかった。でも、模試なんてそんなもんだよねーと思えるようになったけど笑
そんなこともある、というか、試験なんて、そして模試なんてそんなもんです。そんなもんなんです。多分。
別の大学に進むことになりましたが、とくにめげることもなく、楽しくすごしました。くよくよしてても仕方ないと思ったしね。
大学→大学院までは全く何の迷いもなく、普通に大学生活を送っていました。
とにかく毎日が非常に楽しかった。部活も思いっきりやったし、やりつくしたって思えるくらいやった。
大学院も人間関係に恵まれ、指導教官にも恵まれ、いまでもたまに研究室の人たちと連絡をとりあったりします。
十分、楽しんだし、飲んだし、いい時間だったように思います。
第一希望は化粧品会社の研究職。だが内定もらえず挫折
大学院の時、めっちゃ就職活動しました。第一希望にしていたのは化粧品会社の研究職。
化粧品会社はいくつか最終面接までいけたのですが、最終的には大手の化粧品会社からは内定がもらえませんでした。
あ、そういえば、化粧品を出してる製薬会社には一つ内定を頂きました。
で、もう一つ内定をもらったのが製薬会社の創薬部門。最終的に非常に悩んだあげく、製薬会社にいくことになりました。
なんで製薬会社の内定が出たのか、いまだに自分でもよくわからないのです。修士課程の研究内容のせいかもしれませんが、今から考えてもなぜ製薬で内定が出たのかが謎。男の先輩とかからはいいなあと言われましたが、自分としては全くピンとこず。。
本当に悩みに悩んで、会社を選んだけど、それが正解だったかどうかとかわからないし、後になって、あの判断は誤っていたと思うこともしばしば。
というのも、私がツイッターでrtしている界隈でもよくいわれているように、女性の働き方はやっぱり現代においても非常にむつかしいと感じるから。
結婚や出産でものすごく考え方がかわることもあるし、独身の時には気づかないような判断の視点がいっぱい出てくる。男性よりは圧倒的にドラスティックに視点がいっぱいできると思う。(逆にいえばこれが強みなんだろうと思うけど)
自分が就職活動していた時と、今とでは、同じ会社とか病院の募集要項見ても見てる部分が本当に違うと思う。
話がそれてしまったから、元にもどろう。
内定をもらったところで、とりあえずがんばって働くかと思ったら、修士卒新卒で、自分である分野立ち上げることを求められる。世の中ってそんな高度なことを修士卒に求めているのだろうか。
本来は新規分野の立ち上げのための研修の枠が私のためにもともと用意されていたらしかったのだが、中途採用の人がうつっぽくなって、逃げるためにその研修枠を使ってしまったと所長に言われ、もうなんだそれ感。
会社入ってすぐしてから、そういうこととか色々わかってしまいまして。
教育する気ないなあと感じてしまった。ついでに言うと、研究所って基本的に人の異動があまりないから、風通しが悪いことがよくあり、私がいたところも例にもれずそうでした。
ここはいつか、研究職でよかったこと悪かったことシリーズみたいな記事にして詳しく書いて楽しもう笑!と思っていますが、いつになるやら。
そうこうして少し働いていると、自分の会社で、研究畑から医学部に行った人の話を聞いてしまったのが、事の始まり。
しかもそれがなんと一人とかではない。少なくとも3人は聞いて、それ以降、ものすごく医学部のことが胸にひっかかっていました。
元々医学部行きたくて、高校は進学校に行ったんだよなあと。
数年そのまま働くことに
結局、言い方は悪いのですが、だらだらと数年働くことになりました。
心の中に医学部のことがひっかかりながらも。
そして、結婚することが決まって、結婚したら研究所には地理的に通えなくなるため、一応会社には異動願いを出しました。
しかし、営業職ならいいよ!という回答。
まあ、そりゃ研究所がそこにないから、営業職しか無理だわね、でも営業職、今からやるのって無理あるわ、、、と。
なので私はそこから新たな仕事を探すことになりました。
今から考えたら、この時に心にささっていた医学部を目指せばよかったんです。。
でも、その時の私は、「今さら医学部なんて」「きっと無理だ」と思ってしまっていました。
そこからの迷走、珍走ぶりはものすごいものですよ。
珍走の数々
まず、転職サイトに申し込みしました。
私が当時利用したのはリクルートエージェントでした。
申し込みして、担当者のところに面接に行くだけでしたが、それで言われたのが、研究系のお仕事で、同じような職種はその地区にはなかなかありません、、みたいな回答を担当者から頂きました。
まあ担当の人は優しくっていろいろ調べてくれました。でもその時働いていた会社と同じような条件では、そこにはないです・・。すみません、との回答。
平行して、大学の知り合いの先生に連絡してみて、もしつてがあったらよろしくお願いしますとメールをしてみました。行動力だけは昔からある笑
そこで、大学の先生に、ある会社を紹介してもらって、面接を受けにいったものの、落ちました。先生ごめん。
さらに、その頃、ものすごくタイムリーに科捜研の化学枠の募集があったため、受けてみることにしました。もはや意味がわからん。でも、地方で働くってほんと仕事がないのよ。安定した仕事ってなかなかない。。
弁理士の勉強でもしてみる?とか。少しは化学系の知識が生かせると思ったからです。会社でも特許関係の仕事を少ししていたのもあります。
LECの弁理士講座の資料を取り寄せたこともありましたね。
LECはコレ↓
もう、とにかく仕事を見つけようとやっきになってまいした。
科捜研の筆記試験に合格してしまってふっと我にかえった
これも本当にわけがわからなかったのですが、特に何の対策もせず受けた一次試験が合格してしまい、しかも合格人数が5人ということがわかり、ここでふっと我にかえることになりました。
一次試験は多分40倍以上という高倍率だったので、まさか受かるとは思っていなかったので、受かってしまってから、「え?私、この仕事、一生できる自信ある?」って自分に問いかけました。
この時、本気で問いかけましたね。自分に。
それで、出した答えが、私はやっぱり医学部に行きたい、ということでした。
はっきりと医師になって何がしたいということを言えるわけではありません。が、働いている明確なイメージが他の職業では全然ぴんとこなくて、まったくイメージできないということを前々からうすうす感じていました。
それにはっきりと気づいて、やっぱり医師になりたいんやわ、私、と思えるのに、こんなに年月がかかってしまいました。
医学部受けようとはっきり決めるまで紆余曲折しまくり
この記事を読んでくれている人の中にはきっと現在、紆余曲折で悩んでいる方もいると思います。
特に社会人の方とか、悩むと思います。
みんなそんなに語らないですが、多分、多くの再受験生や、学士編入者は、いろいろと紆余曲折してる人も多いと思います。
まあ、赤裸々に書いちゃうと、方向性決まってない人間みたいで恥ずかしいですしね。
でも、人生なんて悩みまくりでいいんじゃないのかと思っている自分もいて、
そういう人にちょっと勇気が出たらいいかなあと思って書いてみました。